愛想なし健太郎   文・小出朝生



 朝、いつものように着替えやオムツ、連絡帳などを詰め込んだ小さなかばんを肩から通して、一歳になる息子の健太郎を抱きかかえる。小さな両手が僕の体をつかむ。駐車場まで行く途中、健太郎は頭上の木の葉を指差して「あぅ」などと奇声を発したりする。「何だよ」と聞いても、当然何も答えは返ってこない。近所の見知らぬおばあさんから「か〜わえぇねぇ」と声をかけられることもあるが、健太郎はまるで無視。ただ、じっとそのおばあさんを凝視しているだけだ。
 車の後ろのベビーシートにくくりつけて五分も走ると保育園に到着。専用の駐車場に車を滑り込ませている間も、続々と若い母親たちが運転する車が出入りしている。これから勤めに出かける服装を身につけている母親もいれば、Tシャツ、ジーンズというラフな恰好の母親もいる。たまに父親の姿も見える。
 保育園の入り口で小林先生が「おはよう、ケンケン(保育園ではそう呼ばれているらしい)」と挨拶してくれる。僕は健太郎を体から離して小林先生にあずける。健太郎は別にいやがる態度も見せずにしっかりと小林先生に抱かれ、「じゃあな」と声をかけてももはや僕の方は見ていない。いったいこいつは自分の置かれている状況をどのように理解しているのだろうか。子供の頃、保育園に行くのがいやだと言ってよく泣いた自分とは大違いだ。あの頃、僕はどうしてそんなに泣いたのか。
 迎えの時間の五時頃まで、僕は仕事をしたり、昼寝をしたりして過ごす。ある時、いつものように迎えに行くと、小林先生が「かばんが小さいようなので、よかったらこれを使ってください」とバザーで余った黒い大きなかばんをくれた。「よかったな」と体を上下させても、健太郎は俺には関係ないという顔をしている。まったく…、愛想がないのだけは僕ゆずりか。