そのことは酔っぱらっていて憶えていません

文・愛と賛歌の製陶業  柴田雅光  



  先日、私がかねてから憧れ、尊敬していた陶芸家・Mさんにお会いできる僥倖にめぐまれた。ところがである。その席でMさんは、酔っぱらった、たちの悪い陶芸家N氏と、眼光鋭き孤高の評論家(でも同じく酔っぱらっている)K氏に衆人環視の中、口汚く罵られるという憂き目にあったのである。
 それも、作品や制作姿勢のことではなく、極めて私的な部分で(具体的には書けない)。
 それから、数ヶ月後、また同じようなメンバーで飲むこととなった。
「これは、事と次第によっては、日本の陶芸界の地図を塗り替えるような事件に発展するかもしれない」と私は恐れおののき、でも「新しい地図になったら、どさくさにまぎれて僕の名前も書いちゃえ!」とか思っていたのだが、さすが皆さん、分別のある大人だ。
「いやあ、あの晩はひどく酔っぱらって、どんな話をしたのか、まったく憶えていないよ」「いやあ、Kさんもですか、実は私もついつい飲みすぎちゃって」「僕も、あの日のことは、記憶がないんですよ」「アハハハハ…」
 ところがである、「えっ〜、あんなことがあったのに、皆さん憶えてないんですか?」。あの日もいた若い学生の女の子である。
「いやあ、なんかあったのかなあ〜」と言いながら、みんなの顔はすでにひきつっていた。
「ほんとに憶えていないんですか?Mさんにめちゃくちゃ言ってたのに」
 僕はその時、地雷源に向かって、スキップしながら駆けていく彼女の後ろ姿が、確実に見えた。
「うるさい、この○ゲ!」とか「こんなハ○のどこがいいんだ!」とか「その頭はだてに○○てるだけか!」とか…。
 その後のことは酔っぱらっていてよく憶えていません。