焼きもの野郎の肖像………山田孝蔵さん

     熱く、自らを燃焼する 文・小出朝生



  

 今、常滑には全国から多くの若者たちが陶芸を学ぶために集まってきている。その中心的な役割を果たしているのが常滑陶芸研究所で、山田孝蔵さんはそこで五年間、陶芸を指導していたことがある。今は退いているが、それでも孝蔵さんのもとには多くの若者たちが集まってくる。孝蔵さんは挨拶もそこそこに今の若者について話し出した。その大半は厳しいものだ。
 本気で焼きものをやろうとしているやつがどれくらいいるか。今は就職難だから、単なる職業としか考えていないのが多すぎる。表現に対する情熱のようなものが全く感じられない。何を考えているかわからない。そんなやつらの話を本気になって聞こうという気にはなれないね。もうお好きにどうぞというしかない…‥などなど。こちらから話題を変えない限り、若者に対する不満はいつまでも終わりそうにない。
 山田孝蔵さんは常滑の高校を卒業した後、多治見工業高校専攻科へ入り、そこで荒川豊蔵とか日根野作三とか、今では歴史的人物となった人たちと出会っている。
 卒業後は常滑に戻り、陶磁器メーカーに勤めながら自分の作品づくりに励んだ。その頃の常滑は鯉江良二氏をはじめとして若い陶芸家たちの熱気でむんむんしていた。その中で孝蔵さんも影響され、刺激されながら自分の作品に向き合っていったのである。数々の公募展で賞も受賞し、しだいに期待の若手として注目されるようにもなった。
 自宅の一室には自作が並ぶギャラリーのようなスペースがある。並んでいるのは最近の作品ばかりだが、それだけでもいろいろな技法、作風のものがある。中には若い作家の原点になったと思われる作品もあり、「あいつの作品はここからきているんだな」とわかって面白かった。
「後ろ髪を引かれるような作品をつくりたいと思っている。それには自分らしさ、自分の香りのようなものを大切にしなくちゃいけない。で、それを作品へと結実させるためには、土から釉薬、焼き方まであらゆることが関係するんだ。なかでも、土は大切だ。若い頃はどんな土でも俺のテクニックでなんとでもなると思っていたけど…、そうじゃないね」
 土はほとんど山に取りに行く。自分の表現に合う土を探し出すには一つの論理がある。それを会得するのに十年はかかったという。また、一回や二回焼いただけでは、その土の特性はわからない。何度も焼いてはじめて最も適した表現が見つかる。それは自分が土に追いついた結果かもしれないと話す。


 「今はこれまで自分がイヤで捨て去ってきた技法などを集めているんだ。プラモデルのような質感とか宗教的な装飾などを取り入れた作品など……、とくに蔓草に興味がある」
 確かに、自宅ギャラリーを眺めると、灰釉が施された土臭い作品のなかに、装飾的といっていいような作品がある。この幅というか多様性が孝蔵さんの焼きものに対する姿勢なんだなと思った。一貫性がないというわけではない。自分らしさを追求した結果が、作品の多様性を生み出したといえばいいだろうか。
「若いやつらは平気でこれどうやってつくったんですか?と聞くんだよ。そこにたどり着くまでの苦労を考えたら聞けないはずだけど、平気で聞くからね。で、教えないと器が小さいやつと言われる。やってられないよな。まあ、俺は教えてやるけどさ」
 またも若者に対する苦言が飛び出す。ここに来てようやく僕も気が付いた。孝蔵さんほど、若い人たちが陶芸という世界に入ってきたことをうれしく感じている人はいないのではないか、と。若い人たちもそれを感じているからこそ、いくら苦言を言われても孝蔵さんのもとに集まってくるのではないか。
「俺はさあ、食えるとか食えないとか、そんな発想は全くないんだよ。ものをつくっている人間は純粋だと思っている。だから違うと思ったらすぐ喧嘩してしまうんだ。陶芸の世界を美化しすぎていると言われたこともあるけど、純粋な世界でなければ、俺だけでも純粋にものをつくる人間になればいいと思っているんだ」
 そう言う孝蔵さんに、僕は限りないシンパシーを感じた。