資格で安心……? 文・山口 結美

      


イラスト・岩崎里香 

 「資格を取ろう」と思うのはどんなときだろう。転職を考えるとき、今の仕事でレベルアップを図るとき、仕事に不安を覚えたときにも考えるかもしれない。
 ライターとしてちゃんと一人前にやっているのに、全く違う業種の資格を取った友達が何人かいる。それは調理師であったりファイナンシャルプランナーであったりいろいろだが、共通しているのは、皆ライターという仕事がいつまでできるものか先行きに不安を抱いていたということだろう。
 昨年七月、わけあって失業した。結構気に入っていた仕事だっただけに動揺も大きかった。同時期に失業した同僚のようにフリーライターとしてやっていこうという気持ちも、それで食べていけるという自信もなかった私は、再就職の道を探した。ずっと働いていける普通の会社に勤めたいと思った。
 しかし世は不況の嵐が吹き荒れている。職を求めようにも、特別な技術や資格は持ちあわせておらず、唯一経験のある事務職は年齢で却下されてしまう。稀に年齢がOKでも大概の場合〈パソコンの出来る方〉という但し書きがつく。しかもこの場合のパソコンはウィンドウズだ。仕事柄マッキントッシュには触っていたがウィンドウズはほとんど見たこともなかった。考えた末、私は半年間パソコン学校に通うことにした。「資格を取って〈パソコンの出来る方〉になろう。ア○バも宣伝してるじゃん、資格で安心って…」このとき私は焦るあまり資格さえ取ればなんとかなると思っていたのかもしれない。
 以前に人から聞いた話だが、建築関係の人たちの間では一級建築士の資格を「足の裏についたゴハン粒」と呼ぶのだそうだ。取らないと気持ち悪いが取っても食えないということである。パソコン関連の資格もまた足の裏についたゴハン粒であると悟るまでにさほど時間はかからなかった。考えてみれば当たり前である。医者でも弁護士でも資格を取っただけで食べてはいけない。結局は日々積み重ねてきた知識や経験がものを言う。資格というのはその世界で生きていくためのパスポートか身分証明のようなものでしかないのだ。
 とは言うものの取った資格はそれなりの効力を発揮する。そのために勉強したことはそれからの自分を助けてくれる力にもなる。実際それは今、私の仕事を多少なりとも支えてくれるし、また次の資格へと自分を導きもする。資格って取ったところから何かがはじまるのねーと、わかりきったことを改めて思う今日なのである。