やってられません   文・川口晴絵


 「仕事って何なんでしょう」私は牧師さんに悩みをうち明けた。「エバが禁断のみを食べてしまった時、エデンの園を追われ土を耕さなければならなくなった。これが『仕事』の始まりで、それでも神様は糧を与えてくださった」と牧師。そうか、この苦しみはエバのせいか。でも、それで納得していいのかぁ?
「苦しくてもそこに居る意味があるのです」とチョビ髭の牧師は付け加える。それにしても、なんで私はあのヤン・ババ(ヤングオババ)に苛められなくちゃならないのよオ!
 私は高校が定時制だったし結婚後も共稼ぎだったので、十五の春からずうっと仕事をしていて苛められ易いのか、いつも厭な女に目をつけられる。その度に「仕事って何?」と強く思う。夫は「オバサンの実態を観察して書くんだ!」と激励する。それって、読者いるかなぁと言うと「オババに苛められている男が読む」と彼。そうだ、彼もいじめに遭っているのだ。四人のオババと仕事をしている。


絵日記    文・ハセガワトモコ



 子どもの夏休みに、絵日記を書かせることにした。おお懐かしい、かの絵日記を。
 子どもは初めしりごみをした。なんとかおだてて「やる」と言わせた。約束は「毎日書く」こと。
 最初の三日間で親の方が頭を抱えた。なんと絵の中に「吹き出し」がある。 夏祭りの打ち上げ花火から「ドーンドーン」と字が飛び出し、横にいる犬が「キューンキューン」と鳴いている。 やれやれと思った翌日から絵の方はようやくまともになってきた。お次は文だ。 ややっ!汗して踊った盆踊りも、従姉妹と食べた鰻丼も、毎日通ったプールも、 ごそごそ動き回るカブトムシも、みーんなみんな「うれしかったです。」と「楽しかったです。」に集約されてしまうじゃあないか。
 かくして苦節40日、最後は血みどろの闘いとなり、いやがる子どもの耳をつかんで書き直させる。悪夢だ。 もともとこちらが押しつけといて、「出来が悪い」とやり直させる身勝手よ。 果たして8月末日に、母の評価は地に落ちていた。いまさら取り繕えるレベルじゃない。 憎まれ口をたたく子どもがそこにいて、「わたしが死んだら、いい思い出になるぞ。」と毒づく母たる我ここにあり。
 ああ、絵日記のバカ。