編集後記 |
▼話題の本『ホームレス作家』を読んだ。身から出た錆とはいえ過酷な生活を強いられた人だなあ。しかし、どうも共感できなかった。誰でも同じような状況に陥る可能性はあるにしろ、ホームレスになりたくなければ、もう少し前に何か手の打ちようもあったのではないか。そうではなくて、ものを書くことしかできないという根っからの作家なら、もっと自分を突き放した視点が欲しい。ホームレスである自分を笑う余裕がどこかにないと、読んでいてつらいだけだ。それにしても、筆者はいろんな人に割と安易に借金のお願いができるなあと感心した。その点では、無頼作家の素質があるのかもしれない。金額の小ささが悲しいが…。まあ筆者も今は住むところを手に入れたようだし、めでたしめでたしだな。 ▼僕の祖父は親の財産を食いつぶした放蕩息子だった。もうおじいさんとなった祖父しか知らないから、若い頃、どんなふうに生きていたのかわからない。ただ、一生、定職に就かず、親の金でなんとか暮らしていたのは事実だったようだ。かなりひねくれたじいさんで、孫一人ひとりにあだ名を付けて、あだ名でしか孫を呼ばなかった。僕のあだ名はサカナス。茄子を逆さにしたような顔だかららしい。かなりの読書家という面もあって、亡くなる少し前、どこかの随筆家の本に自分のことがほんの少し紹介されてたと言って喜んでいたが、結局、単なるひねくれたじいさんとして亡くなった。そのじいさんに僕はよく似ていると言われた。住む世界とうまく折り合いを付けられず、ひねくれたところなんかが似ていると思われたのだろう。要するに二人とも甘ちゃんなのだ。自分の食いぶちは自分で稼ぐというのは正論だが、自分で稼いでいると胸を張れるか、そう問われると自信がない。そんな仕事がどれだけあるか。稼ぐというより取り分と言った方がいい仕事がほとんどではないだろうか。 ▼さて、次の「手の仕事メモ」のテーマは「携帯電話」です。「携帯電話」をテーマにして何か書きたいと思われた方は、ホームページからのメール、FAX、手紙、葉書などで四〇〇字程度にまとめて12月中に送ってください。よろしくお願いします。 |