宝くじが当たったら    文・蒲生あつ子


 

 戦時下に小学生だった母が言う。成長期の子どもが食べるものがないっていうのは、本当につらいもんだよ。冷蔵庫の中でまたモロヘイヤを腐らせる、飢えを知らないわたしには分からない。
 もし三億円が当たったら猫の飼えるマンションに住もう。友禅作家に竜宮城の訪問着を作ってもらおう。宇宙旅行をしよう。A3のレーザーカラープリンターを買おう。稲垣足穂全集を取り寄せよう。ジャガーに乗ろう。宮崎駿に「あたま山」をアニメ化してもらおう。
 夫を兵隊に取られ、村で内戦が始まり、畑を奪われ、命からがら国境を越えてきた若い妻が言う。見てください。この子たちは食べるものがないから土を食べているんです。
 三億円が当たったら、瓦礫の下で、「さとうきび畑」を歌おう、わたしを見つけてと、したたるような空の青さに、携帯電話が鳴る、蜜蝋のような指先で、あの人の名を刻もう。どうしてわたしでなくあなたが死ななければならなかったのか。宙に浮かぶ巨大なルーレットに向けて、矢が放たれる。はじかれた世界。




  取らぬ狸の皮算用  文・川口晴絵


 

 何故そんなに「書く」ことに捕らわれているのですか、呪縛だ――もの書き講座の講師が私を諭す。
 けれど、何と言われようが「書いて」ご飯を食べたい。お金のために書くんじゃないが、書いてお金が欲しい。投稿魔歴、三十年。ポチポチと原稿料は入ってきた。ライターの仕事もやった。出版社にも勤めた。でも、多額の賞金が欲しい。
 思えばこの「賞金」が常に目の前にあったればこそ、書き続けてきた。先の講師に邪道と言われようが、趣味で書いてりゃいいじゃないの、と言われようが、お金のために書いてきた。
 気がつけば、チョットはマシな文章が書けるようになってきた、と自負している。賞金は夫を亡くした母子家庭の、生活の糧だった。百万さえあれば…十万、いや一万、たとえ千円でも…
 もう必死だったんだから。してみると、お金って人間のエネルギーを生み出すものだったんだ。「早く物書きになれよな」
――この言葉が亡夫の遺言だった。勇次さん、遺言を果たせずゴメン。
 でも「物書き=お金」は体の弱い彼の、生きる希望になっていた、とも思う。それにしても前回の文はヘタクソだった!(でも書いて稼ぐぞ!)