いつか田舎で暮らそうかな
         
文・小野 穣

      

 僕達は何か欲しいものがあると、まずそれがいくらするのか考えることが癖になっている。お金がない時代はどうだったのだろうか? 僕はたまたまモノを創ってお金と交換する仕事をさせてもらっている。貨幣が無ければ当然物々交換になるか、労働で奉仕することになるはずだ。先日、田舎に住む友人の彫刻家の工房を訪ねると御影石のテーブルにさつまいもが山盛りに置いてあった。気がつくと他にも玉葱やじゃがいも、カボチャ、野菜類が山積みだった。僕が驚いていると彼は僕が昔焼いた無骨な土鍋を出してきて猪鍋を御馳走してくれた。酒に酔うといつも「小野くんもここで暮らせ」と言う。水は旨い。野菜もある。肉もある。住まいも旧いが味がある。無いのは現金収入だけだ。僕の心はいつも揺れる。
 何かいる物はないかと聞くと「時間と材料はいくらでもあるから大抵自分でつくる」と言うので差し入れはいつも酒になる(彼は法律的にマズイ?が、葡萄酒は自分でつくっている)。彼といると僕自身何をお金で買っているのだろうと考えてしまう。本当に必要な物だろうか? お金があればなんでも買える? でもお金をかせぐために僕は時間と感受性を犠牲にしてしまっていることが多い。一番大切なものはその時々によって違うから最後に何が残るかわからないが、お金よりゆとりのある時間だと気が付くのはまだまだ僕には先のことで、倒れるまで走り回って満足してから考えようと思う。