二代目矢守氏の戦略   文・小出朝生


 息子健太郎のかかりつけ医・矢守クリニックの二代目矢守氏は、地黒の顔といい、丸い身体に少々短めのグレーのズボンといい、まさに熊のぬいぐるみような愛嬌のある風貌だが、この二代目なかなか侮れない人物なのである。
 もともと矢守クリニックは矢守医院と言ったが、父親から息子へと代が変わったのに伴って医院内をリフォームし、名称も現代風へと変更した。この戦略はおそらく二代目の考えであろう。というのは、父親の代の頃は「あそこはやぶ」という密かな評判が近辺にながれていて、建物もなんとなく哀しい趣があった。小さな子どもならともかく高校生の私にさえ、いつ行ってもお尻に注射するのはチョット勘弁して欲しいと思ったし、友達にその話をして大いに笑われた記憶がある。それでもあの頃は、やぶだろうがなんだろうが注射を一本打ってもらえるだけで安心できた時代なのだろう。少なくとも、子を持つ多くの親たちは、遠くの名医よりも近くのやぶを選んだ。
 しかし、時代は変わった。子を持つ親たちは評判のいい医者を捜してどこまでも行くようになったのだ。その結果、二代目矢守氏は、今のままではいけないと思うに至り、現代風アレンジを付け加えてモデルチェンジを図ったに違いない。最近ではコンピュータを導入し、薬の成分がわかる紙をプリントアウトしてくれるようにもなった。それが患者増にどれだけつながったかわからないが、肝心の診療はというと、今はほとんど注射を打つことはなくなったし、機械に過剰に頼らず、患者の話を注意深く聞く二代目の姿勢は充分評価できる。
 ただ気になる点がいくつかある。まずひとつは、その愛嬌のある風貌とはうらはらに、対応がちょっとクールすぎて居心地の悪さを患者に与える点だ。それと、待合室にローリングストーンズの「メインストリートのならず者」が流れていたり、入り口横に「アマチュア無線協会連絡所」という看板がかかっていたり、その私生活は少々乱れており興味をそそられる面がある。その辺りに、私は、頑なに尻注射を信奉していた父親の影を見て、二代目矢守氏の戦略の将来に不安を感じずにはいられないのだ。