ケータイ落第   文・ハセガワトモコ
 

 携帯電話は持っていない。一日を「普通電話」の近辺で暮らしているので必要ないのだ。 ただし、周囲には迷惑をかけているらしく「ねえ、お願いだから携帯持ってよ」としばしば言われる。出先で待ち合わせたい時や私の居場所を知りたい時、想像以上に不便らしい。 その不便さは説明されてもピンと来ない。「申し訳ないです」とひたすらあやまることにしている。
 主婦の友人たちは携帯電話の「メール機能」を重宝がっている。相手が忙しい時でもこちらの用件を伝えられるし、用のない時でも気軽にかけられる。 ちょっといいなあと思うがコンピュータメールで事足りている。
 電車に乗ると私以外の全員が携帯を持っているように見える。「すごいなー出先に置き忘れたりしないのかなあ」と感心する。 「いつ鳴るかわからないからいつも身近に持ってるのかなあ」と想像する。「だからみんなお尻のポケットに入れてるのかなあ」と決めつける。 あれこれ考えると随分忙しそうな気がする。ボーっとさせてもらえないかもなあと妙に怖じ気づいてしまい結局今日に至るまで携帯電話は持てずじまいである。




異国 (携帯された会話) 井上高稲 (内的作家)

硝子張りの近未来都市。
そこは人生の見本市。
曇り空の色の背広。
物静かなペンギンの群れが
ほら、見物にやってくる。

地下鉄で。モノレールで。船で。
空に透明な光の気球が上がり、
架空の見世物小屋の
花火が、ぽん、ぽん、
と愛らしい。

携帯電話のあなたの声が
耳元で
聞き取れない言葉を
とても親密に話す。
失われた愛と憎悪の物語。
戯れに拵えた玩具のような
人生の詩について。

みんな携帯でひとつの声を
聞いている。
その異国風の哀歌を今夜、
カラオケで歌ってみようか、
と思いながら。