役立たず    文・蒲生あつ子 

      

 母が携帯電話を持つことにしたのは、平成元年から入院している父に「もしも」のことがあったとき連絡を受けるためだと言う。納得したわたしも携帯電話を手に入れることにした。
 糖尿病で肝硬変でウィルニッケ=コルサコフ症で肺がんの父は、二十一世紀が明けて三日目にこときれた。その知らせは母に行かず、巡りめぐってわたしの部屋に届いた。
「夕食前ニSサンガ急性呼吸不全デ倒レマシタ。四十五分後ニ息ヲ引キ取ラレマシタ」
 自分の鼓動が部屋いっぱいに響いて、うるさいくらいだった。携帯電話はわたしの指と同じくらい冷たかった。
 母の携帯電話は常と違い、留守にセットしてあった。出かける支度をしながら、焦り、毒づきつつ、リダイアルを数十回繰り返してメッセージを入れる。そう、こんなときに限ってという言葉はこういうときに使うのだ、きっと。
 ようやく此岸へとつながった電波は調子が悪く、こちらの声が聞き取りにくいのか、母は「ナニ? 聞コエナイ」ととぼけているような口調で、わたしの神経を逆撫でた。
 電波の届くところに移動してよ。ナニ? こっちにかけ直して。聞コエナイ。何のために携帯買ったの! エ? 自分の夫が死んだっていうのに、何やってんの? 今がそのときだっていうのに、意味ないじゃない!
 叫びながら初めて涙がにじんだ。わたしの怒りは矛先を捉え、ようやく鎮まった。母に動揺と混乱を押しつけて。
 この間の悪さを何としよう。本当に怒るべき人はすでにいない。
 肉親の誰ひとり、父の最期をみとれなかった。父は苦しかったろうか。刹那、地上で溺れて。
 父の死のそのとき母が何をしていたのか、怖くて未だに聞けずにいる。