初めての別れ   文・小出朝生

 人は生まれてから死ぬまでに、どれだけの出会いと別れを繰り返すのだろうか。まず最初に出会うのは母親だ。この出会いは必然と言うべきか、偶然と言うべきか。原因があって、結果として子供が生まれてくるわけだから、その意味では必然なのだろうが、子供の気持ちとしては、あるいは親の気持ちとしても、たまたま子であり、親であった偶然の出会いという方がより近いのではないだろうか。実際、何億という精子の中から、どんな要因によってか、たった一匹(?)選ばれるわけだから、偶然以外のなにものでもないと思うが、どうだろう。母親の気持ちは知らないが、少なくとも、二番目に出会った父親の私自身は、健太郎が私と必然的に出会ったとは思えない。
 以降、人は出会いと別れを繰り返しながら成長していく。出会いがなければ何も始まらないし、別れのない人生なんてあり得ない。そもそも出会いと別れはワンセットだから、出会いは偶然でも、別れは必然なのだ。当然、健太郎と私も必ず別れる時が来る。
 健太郎にとっての初めての別れ、それは突然やってきた。保育園で最もなついていた小森先生が、この春で退職してしまったのだ。最後の日、小森先生は「ケンケン、バイバイ」と涙を流し、突然別れを告げられた私は、少々たじろいで言葉が出なかった。やっとこさ、「もう会えないんだぞ、おい」と言って、小森先生に抱いてもらおうとしたが、健太郎はなぜか嫌がって私にしがみつき離れようとしない。仕方がないので、「バイバイ」と促すと、陽気に「バイバーイ」と小森先生に向かって手を振った。健太郎はすぐに小森先生のことは忘れて、記憶にも残らないかもしれない。それでも、健太郎にとって、これが最初の別れであることは間違いない。
 こんな時は、なんか、お前も人生を歩きだしたんだなあと、しみじみすると同時に、子供を育てることは、自分が育ってきた過程をフラッシュバックすることでもあると思うのだった。