チガウトコロ、チガウコト  文・小野 穣


 一〇年くらい前のお昼どき。
 パルコ前の交差点で、僕の右に、赤信号で白い乗用車が止まった。
 乗っていたのは六〇代くらいの夫婦だったと思う。僕は隣同士に座っている二人を見て何故か急に悲しくなったことを憶えている。
 二人を見ていて、これから買い物に行くのか、映画に行くのか、どこに向かおうとしているのか分からなかった。正確に言うと想像できなかったのだと思う。
 二人はそれぞれ別の方向をぼんやり見ていた。
 同じ車で、同じ道で、同じ方向に進んでいくのに、発進しても二人の視線は交わることがなかった。会話はしていたように見えた。ただ二人とも表情は抜けていた。疲れていたのかもしれない。喧嘩をしているようには見えなかった。
 その時まだ学生だった僕には、当時つきあいだしたばかりの女の子がとなりにいた。よそ見をしている僕を彼女は咎め、僕らは笑いながら並んで交差点をわたった。
 渡りきるとき、彼女が「あのご夫婦チガウトコロ見てたわ。考えていたこともチガウコトかしら」と言った。僕が見て思ったことを彼女はそのまま感じていたのだと思う。感性の良い女性だった。「いま、私たち、同じものを見ていると思うけど、あんなふうに永く一緒にいると、チガウトコ見てるようになるのかな」と独り言のように、僕に暗示をかけるように彼女は聞いた。僕はよく考えもせず「そんなことないよ」と答えたものの、彼女が見ていたものが見えなくなって、間もなく僕は一人になった。暗示は効かなかったようだ。
 当時僕は照れくさくて言えなかったのだが、もしこれから先、縁のある人と結婚することがあるなら、二人で散歩しているとき、同じ花をみつけて立ち止まれるような、ずっとそんな関係でありたいと思う。