戻ってきた年賀状   文・小出朝生


 年が明けてしばらくたった頃に、一枚の年賀状が郵便受けに入っていた。そこには見覚えのあるへたくそな文字が並んでいた。表の宛名の上に「転送期間経過のためお返しします。旭川東」という赤い判が押されている。私が大学時代の友人に出した年賀状だった。
 大学を卒業して二十年になる。初めの頃は手紙を書いたり、たまには会っていた友人たちとも次第に疎遠になり、今ではほとんど年賀状のやり取りぐらいになってしまった。それは仕方のないことだし、悲しむ気持ちもない。しかし、連絡先がわからなくなってしまうことは、たとえ連絡することがないにしても、今の自分を形作っている一片が失われることになってしまう。その喪失感に少しうろたえた。
 その友人とは、それまでずっと続いていた年賀状のやり取りが、昨年、いきなり一方的に途絶えてしまった。そして、今年、その別れは明確な形となって私の前にあらわれた。確か、一昨年の年賀状には家を建てたと書いてあったはずだが⋯。つい最近、思い切って共通の友人にメールで消息を聞いてみたが、やはり居所が分からなくて連絡が取れなくなっているという。
 大学を受験した年にはじめて共通一次試験が実施され、卒業すると新人類と呼ばれた私たちの世代も、二十年という歳月の中で、何かを得た代わりに確実に何かを失い、今ではいっぱしの社会人の貌を持ち始めて、その中心的な役割を担うまでになった。
 友人にも家庭があり、子供がいた。学生時代からは想像できないが、毎年届く年賀状からは、その変化を少々照れながらも喜んでいる雰囲気が伝わってきた。何かがない限り、連絡を一方的に切ってしまうことは考えられない。精神的に何かを吹っ切った結果なのか、それとも実際に何かが起きたのか。それは私たちの世代が今、共通に抱える悩みと通じるものなのか、そうでないのか。それを探る旅に出てみたいと思った。