決して感動ではなく    文・蒲生あつ子

 バスで病院通いをしているおばあさんが時間に遅れてバス停に着くと、顔見知りの運転手さんが「心配してました」と待っていてくれた。遅い朝食を取りながら朝刊で見つけたエピソードに涙する。テレビでは「プロジェクトX」の中島みゆきのテーマソングが流れてくるだけで頬を涙が伝う。感情の振り子はいつも涙モードの方に振れていて、わたしは壊れた蛇口のようにだらだらと涙を流し続ける。うんざりしながら。涙と鼻水にまみれたティッシュペーパーを屑籠いっぱいにして。毎日。
 悲しいのではなく、口惜しいのでもなく、感動でもなく、瞬時の共感と条件反射。どうしてこんなに簡単に心を持っていかれるのか。涙がストレス解消だとしたら、わたしは何のガス抜きをしているのか。五分たてば忘れてしまうのに。
 何にも満足していないのに充実したふりをして。怒る代わりに「いいですよ」と言ってみたり。わたしは疲れて、でもこんな弱音が吐けるのは、危うい平穏に頼っているからで。どこかに着地点を見つけなければならない。逃げ道を。それが泣くことだとしたら、ずいぶん穢れた涙であるけれど。




泣いた日    文・川口晴絵

 亡夫の十三回忌前日の夜、私は珍しく、おいおいと泣いてしまった。三人の子どもを抱え、孤軍奮闘してきたことを誰が分かってくれたのか。夫に先立たれた悲しみが、どれ程のものだったか、突如思い出したのだ。
 女は台所が、物思う場所なのか、夕食の支度をしながら、私は嗚咽した。渦中にいたときよりも、よく泣いたっけ。表向き強がりな私は人前ではエヘラエヘラして過ごしていたのだけれど、真夜中になるとその反動で泣く。
 当時幼かった末息子は、学校でもそのことを言っていたらしい。家庭訪問の時、担任から「『お母さん、夜中によく泣いてるよ』って言ってましたよ」と言われた。
 過ぎた日々が突然リピートして、私を襲った夜、「何があったんダロウ」と十八歳になった《髪の毛いじり、命》の息子は私の後ろでウロウロしていた。 
 夫亡き後、嫁ぎ先から「墓を返せ」とか、いわれのない濡れ衣を着せられたことを、あれこれ思い出したのだった。どんなに尽くしても私は単なる「よそ者」だったことが悲しかった。でもいいさ。やっと、煩わしい縁も切れたのだから。万歳!