人形小屋計画    文・水野裕子

 

 別に頼まれたわけではないのだが、人形小屋をつくろうと思っている。母の実家がオオイケという人形屋で、そこに勝手に今の自分との深いルーツを感じるものだから、オオイケの古い人形を集めてみんなに見てもらおうというわけだ。まったく自分勝手でアバウトな構想だが、やる気と入場料二十円は決定的である。
 で、それがきっかけであくなき骨董市やフリーマーケット巡りが始まるわけなのだが、会社にも残っていない人形が埃にまみれてころがっていたりすると、もうお涙もの。我が家の相棒はオオイケの社員なので、たいていの店主のウンチクが間違っていることは丸分かりなんだけれど、それだけマイナーなんだなあと思うと「おーしおーし、連れていってやろう」という気持ちになる。
 そんなこんなで、小屋計画に笑いながら賛同してくれたOBの方たちからいただいたものもあって、人形の数もやや充実してきた。どうしてかね、集合した人形たちを眺めていると、喜怒哀楽じゃない涙が、胸の中にあふれてくるのだ。




 
私を泣かした中尾ミエ        文・稲本幸


 テレビドラマを見てうるうるしてしまうことがある。私の涙腺を一番激しく決壊させたのは「必殺仕事人」。中村敦夫と中尾ミエが夫婦役の最終回、川の浅瀬を殺し屋たちから追われ逃げ惑う二人、足をとられた中尾ミエが「あんたぁ〜逃げてぇ〜!」
しかし中村敦夫は引き返すのだ。殺し屋がわんさかいるのにである。そしてやっぱり二人とも殺されちゃうんだよなぁ、あたしは「ミエェ〜、アツオォ〜」と泣けるんだけど、誰も共感してくれない。
 

◆「はじめてのおつかい」にうるうる

 半年に一度ぐらいのTV番組「はじめてのおつかい」を見ては、目頭が熱くなってしまう。子供は日頃、親や周囲の人の行動をよく見ている。ませた言動や行動に笑えるし、子供独特の世界があってそれぞれの個性に感心させられてしまう。例えば入院する母親を送り一人で帰ってくる子供は、母親と別れ際「おだいじに」とペコリと頭を下げるのである。誰にも教えてもらっていないのに「おだいじに」だって………。また、弱視でいままで何もかも母親にしてもらっていた子がおつかいに出る。母親もつい手を貸したくなるのだが心を鬼にして買い物に行かせるのだ。側から見ればかわいそうにと思ってしまうが、将来その子が一人で生きていくには、いつかは突き放さなくてはいけない。そんな母親と不安でいっぱいの子供の気持を考えると涙なくては見られないのだ。面白さの中にもほろっとされられる「はじめてのおつかい」だ。