水の話      文・小野穣


 この世界に生まれる前のことはまったく憶えていない。でも、確実に自分にしかできない目的があって、それを実行し、実現するために両親を選んで生まれてきたのだと思う。僕は無神論者だけれども僕達の暮らすこの世界や宇宙は何か大きな秩序のような法則があって、僕達はそれを正しく運行するために存在しているような気がする。大げさなことではなくて人やモノとの関わりは、多分そういうことなのかなと思い始めている。
 昔、「水の結晶と言葉の力」の話をしてくれたフランス人留学生がいて、当時僕は面白半分に聞いていた。彼の話によると、純粋な水は凍らせて顕微鏡でのぞくと美しい結晶が現れ、汚れた川の水の結晶化はないのだという。結晶化する水には身体を健康に保つ力があって、薬よりも大切なのだという。また、信じるかどうかは自由なのだが、何語でも「ありがとう」とか優しいきれいな言葉を紙に書いて、水の入った容器に裏返しに貼り付けておくと、水は長期間きれいな形の結晶を保って腐らないらしい。それは水分を含んでいる植物や動物や人間にもいえることで、簡単にいうと誉めて育てることと同じらしい。言葉や音楽には力があって、その波長に一番影響を受けやすいのが水というのだ。詳しくないが、言霊のようなものかもしれない。人間なら一番最初に本人に影響を与えるのが名前だという。その話を僕の隣で真剣に聞いていた女の子が泣いているのを見たとき、僕の身体の中の水は純粋ではないかもしれないと思ってしまった。
 いまアトリエで一人で何か創っていると、結局考えることばかりでなかなか仕事が進まない。自分と向き合うといえばかっこいいが、頭の中と同じでアトリエも雑然としている。僕は言葉にできない想いを絵や形に込めて、自然な形で世の中にかかわっていけたらいいなと思っている。 水の話は、現在本が出ていて、目に見える話なのでちょっと試してみようと思っている。